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角三(つのさん)の基本情報
西新宿角三町は、明治32年(1899年)に淀橋浄水場、同45年(1912年)に東京ガスが開設され、人々の生活の原点である水と火を賄う地として大きく社会貢献をしてまいりました。その歴史を紐解けば、先人達が我が土地への執着や身の危険などの困難を乗り越え、広く社会の発展に寄与していこうとした度量の深さがありました。また、昭和2年(1927年)の町会創立以来、歴代会長ならびに役員、会員の皆様、そして各企業の方々の、それぞれの立場における尽力、努力もあります。
これらの御陰があったからこそ、時代が変遷し、昭和40年(1965年)に浄水場が、同62年(1987年)にガスタンクが廃止された後、東京新都心としてみごとな発展を遂げたのであります。近くに繁華街、高層ビル郡、オペラシティ等の文化施設がありながら、我々の住宅が一体となって、安全で安心な街が築かれていることは、大都市がスラム街や危険地域等と隣り合わせにある世界通年から考え、大変珍しいことではないでしょうか。
近年、永年住まわれた方が転居し、新しい住民が増えたり、企業においても団塊世代のサラリーマンが退職し、グローバルな運営へと様変わりしています。これからの街づくりは、この方々との協働、共生が何より大事なことかと思われます。これはあたかも、一つ一つの楽器の音色は個性あるものなのに一つの曲想をつくるために強調する吹奏楽のi寅奏にも似て、それぞれの特性を生かし合い、楽しみや歓びを共有し合うことだと考えています。
出典: 西新宿角三町会創立80周年記念誌 平成19年(2007年)10月発行
発行時の町会長 第7代西新宿角三町会会長から掲載許可をいただきました。
挨拶より抜粋・西暦年号を追加しました。
西新宿角三町会 ~もうすぐ100年~
都庁のお膝元「新宿ワシントンホテル」や地上235m「新宿パークタワー」、地上54階の「東京オペラシティー」、〝お口の恋人〞「(株)ロッテ本社」、そして、元気よく通う子供たちの「西新宿小学校」を有する西の外れ、甲州街道を渡れば渋谷区といった立地に位置する新宿区内ではもっとも古い町会です。昭和2年(1927年)に設立し、もうすぐ100年を迎えます。初代会長は衆議院議員でもありました野村専太郎氏、現在8代目会長が運営中です。
この地を「角筈村(つのはずむら)」と言われていたこと、三丁目であることから『角三(つのさん)』と名称、時に『カクサン』と間違われる事もしばしば…、『角筈三丁目町会』と言います。
会館も所有し、7部の組織で構成され、一年を通し、行事や企画を行い、安心で安全な住み良いまちづくりを目指し、日頃から絆とコミュニケーションを大切に活動中です。
出展: タウンニュース西新宿126号 令和2年(2020年)9月1日
発行: 角筈地域センター 管理運営委員会
原稿を執筆されたI氏より掲載許可をいただきました。
抜粋・加筆修正・西暦年号を追加しました。
⇒《タウンニュース西新宿126号(角筈地域センター)》
百年にわたり引き継がれてきた神輿
百年にわたり引き継がれてきた
西新宿角三町会《角三睦》神輿の歴史
初代町会長他18名の有志により、関東大震災発生の翌年大正13年(1924年)、特に優れていた神輿師6代目後藤直光氏に製作を依頼、一刀彫り3尺3寸(約1m)の町内神輿が奉納されました。
神輿師・後藤直光は、江戸時代より8代にわたり継承されてきたといわれています。当神輿は、大正期より昭和初期にかけ活躍した6代目棟梁により製作されました。極めて優れた才能を持ち、地元千葉はもちろん、東京、埼玉、神奈川で数多くの神社及び町会神輿を製作したと伝えられています。
神輿の特徴は、屋根の上で羽ばたく一際大きな「鳳凰」と、急斜で大きく張り出した屋根、そして異状なまでに絞り込んだ胴と各所に目立つ鋭い彫刻の数々、全体に力強さを感じる作風が印象的です。
震災や戦火の難を逃れ、昭和23年(1948年)~25年(1950年)に修復、その後も幾度かの修復を経て、当時の姿のまま現在まで受け継がれています。
出展: タウンニュース西新宿142号 令和6年(2024年)9月6日
発行: 角筈地域センター 管理運営委員会
抜粋・加筆修正・西暦年号を追加しました。
⇒《タウンニュース西新宿142号(角筈地域センター)》
⇒《角三睦(インスタグラム)》